お寺は、あなたにとってどんな場所ですか。
仏教は、あなたにとってどんな存在ですか。
なにかお願いごとがあるときに行くところ?
身近な人のお葬式や法事のときだけ意識するもの?
現代において、お寺や仏教は「何かがあったときだけ」の接点しか持たない人が多いかもしれません。
けれども、特別なときだけではなく、何気ない日常において
お寺が、仏教が、あなたにとってもっと身近な存在であれたらと、私たちは願っています。
(浄土真宗本願寺派HPより)
妙光寺では小さなお子さんから大人まで、誰もが集うことのできる「みんなのおてら」をめざして、日々活動しています。
お寺にお参りをすると、たくさんの仲間が出来ます。たくさんの仲間と一緒に、“私の一番の味方”である仏さまのお話を聞いてみませんか?
みなさんのお参りを、心よりお待ちしています。
妙光寺は浄土真宗本願寺派(西本願寺、お西)のお寺で、正式名称を「大岩山 妙光寺」といいます。
境内には本堂、庫裏、鐘楼、墓地があり、2018年には本堂前に合葬墓が完成しました。
日ごろの活動としては、春・秋のお彼岸やお盆、親鸞聖人(浄土真宗の宗祖)のご法事である報恩講法要などに加え、サンデー法話会や子ども会など、子どもから大人まで誰もが集うことのできる行事を毎月開催しています。
実は妙光寺の歴史を知ることができる史料は、大変少なく限られています。
それは、1841(天保12)年に起きた火災、「瀬兵衛火事」によって妙光寺が全焼しているからです。
妙光寺が建っている巻地区の南半分を焼き尽くす程の大火だったため、ご本尊やいくつかの法物を除き、寺の記録などはほとんど焼失してしまいました。
しかし、妙光寺のルーツとなったお寺が現在も長野県須坂市にあります。そのお寺は「浄土真宗本願寺派 大岩山 普願寺」です。
ですから、ここでは史料『普願寺の歴史』や、本願寺に保管されている史料、巻地区にまつわる歴史資料などから妙光寺の歴史を探ってみたいと思います。
もともと妙光寺は、信濃国高井郡小山(現長野県須坂市)にある普願寺が、1588(天正16)年に分寺して、「大岩山 普願寺」と称したことに始まります。
史料によると、巻館城主である西山庄左衛門奉継のもとで、お寺を誘致したことがきっかけとなったそうです。
妙光寺と普願寺の関係は、『普願寺の歴史』以外にも、妙光寺最古の法物でもある親鸞聖人御影の裏書に、「慶長二十年六月二十五日 越後国蒲原郡槇町普願寺常住物也 願主釋浄恵」と記されていることからもわかります。
また、本願寺に保管されている史料『木仏之留 御影様之留』によれば、同じ頃には木仏のご本尊が下附されており、「妙光寺」という寺号(お寺の名前)もこの時に授与されたようです。
現在の本堂は、瀬兵衛火事の後に再建されたものですが、当時の総代さんが住職に「大工さんに上がり酒(仕事終わりに振る舞うお酒)を出してほしい」と要請したところ、「ワシの飲む酒が減るからいやだ!」と拒否したため、「この住職は再建に本腰を入れていない。とりあえず仮本堂を建ててご本尊を御安置し、正式な本堂の再建は後世の人たちに託そう」となって建てられたものだと伝えられています。
ですから、現在の本堂も、正面は入母屋造り風ですが、西側から見ると切妻作りで、中の柱も角柱という倉庫仕立てになっています。
これは、当時の総代さんが立て替える予定だった倉の材木を頂戴して使用したものと伝えられています。
それから170年程経っていますが、改修を一度しただけで現在も立派に本堂の役目を果たしています。
妙光寺は建立以来一度も移転せず、巻の地に400年以上建ち続け、現在の住職で19代を数えます。
これからも浄土真宗を広めるための念仏道場・聞法道場として、その務めを果たしていきたいと願っています。
妙光寺があるのは、角田山や弥彦山を望む越後平野の中にある新潟市西蒲区巻(旧巻町)です。
西蒲区は、土地の半分ほどを農地が占め、その多くが稲作であるため、少し歩くと田んぼがどこまでも続いていくような、素敵な景色が飛び込んできます。
そんな自然豊かな巻の中で、JR越後線 巻駅で下車し、そこから徒歩5分程にある「まき鯛車商店街」を南に抜けると、妙光寺があります。
豊かな自然と、温かい人に囲まれた巻の町と妙光寺へ、ぜひお越しください。
妙光寺の所属している宗派は浄土真宗本願寺派です。
浄土真宗は今からおよそ800年前、親鸞聖人(=親鸞さま)によって開かれた教えです。
当時、仏さまの教えは一部の限られた人のために説かれることが一般的でした。それは仏さまの教えを聞くことのできない人が大勢いて、その人たちはその命を終えても、救われていくことが難しいという世の中だったのです。
しかし、親鸞さまは様々な仏さまの教えを聞いて行かれる中で、「すべての命が救われていく」という仏さまの教えに出遇われます。
そこで、今まで仏さまの教えとは縁の薄かった方たちとともに生活をし、その中ですべての命が救われていく教えを広めていかれたのです。
「仏さまの教えと一口に言っても、仏さまっていっぱいいますよね?」
そうなんです。
その中でも、浄土真宗では「阿弥陀如来」(=阿弥陀仏、阿弥陀さま)という仏さまの教えを中心にしています。
親鸞さまが出遇われた、すべての命を救う仏さまもこの阿弥陀仏です。
阿弥陀仏は仏さまになられるにあたり「全てのいのちを、必ず救う。私に任せなさい」と誓われました。その誓いはお釈迦さまによって説かれ、お釈迦さまがお説きになった阿弥陀仏のお救いが長い年月を経て親鸞さまのもとへ伝わりました。そして親鸞さまが伝えてくださった教えを私たちが今聞いている・・・
そう考えると、私たちは数ある仏さまの教えの中でも阿弥陀仏という仏さまの教えを聞かせていただいていることになるんですね。
親鸞さまは「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」のお名号(みょうごう、仏さまのお名前のこと)は、とても大切であると教えてくださいました。
「南無阿弥陀仏」は『阿弥陀仏のお救いに、おまかせします』という意味の言葉ですが、すべての命を必ず救うという阿弥陀仏の教えに出遇われた親鸞さまは、その教えを生涯大切にしながら暮らしていかれました。
ですので、浄土真宗のご本尊は阿弥陀仏(阿弥陀如来)ということになります。
またご本尊というのは、お寺の本堂や、お仏壇の中心にご安置されており、依り所の中心となる仏さまのことです。
私たちはその依り所となる仏さまの教えを聞くために、ご法話を聴聞したり、お経を読んだりします。
では、浄土真宗のお経にはいったいどんなものがあるのでしょうか?
お経というのは、仏教の開祖であるお釈迦さまの言葉を書き記したものを言います。
お釈迦さまはもともと北インドのお生まれで、使われていた言語はサンスクリット語というものです。
そのため、本来はすべてのお経はサンスクリット語で記されているのですが、仏教が世界中に伝来していく中で、その国々の言葉に翻訳されていきました。
その中で日本に伝来してきた仏教の多くが中国を経てやってきたものになります。私たちが耳にするお経が漢字だらけなのには、そういった理由があるのです。
親鸞さまは、数多く伝来してきたお経の中から、すべての命が救われると説かれたお経を浄土真宗のお経として示されました。それこそが阿弥陀仏の救いが説かれたお経だったのです。
そのお経は『仏説無量寿経』・『仏説観無量寿経』・『仏説阿弥陀経』の三部で、この三つをまとめて「浄土三部経」などと呼ぶこともあります。
これ以外にも、私たちがお勤めするものの中には、親鸞さまがお書きになられた『正信偈』が、毎日のお勤めにもお勧めです。
また蓮如さま(本願寺第八代宗主)がお書きになられた『御文章』や、読み物としては『歎異抄』なども有名で、心に響く銘文もたくさん出てきますよ。
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